- 仲間外れだと感じる体験は、誰が決めたかによって感じ方や脳の反応が変わることがある、という研究結果が紹介された。
- 「同じ結果でも、仲間が決めたのか上位者が決めたのか」という説明が異なると、安心感や不快感、脳の反応が違ってくる。
- 社会的排除は原因の説明次第で受け止え方が変わるため、背景を理解することが大事だと示唆されている。
仲間外れのつらさは、誰が決めたかで変わるのか
人と一緒に何かをしているとき、自分だけが外されているように感じる瞬間があります。話題に入れなかったとき、順番が回ってこなかったとき、気づくと自分だけが置いていかれていると感じることがあります。そうした経験は、胸のあたりが重くなるような、言葉にしにくい不快感を伴います。
これまで心理学では、こうした「社会的排除」が人の心や脳にどのような影響を与えるのかが、数多く研究されてきました。今回紹介するのは、ドイツのベルリン自由大学(Freie Universität Berlin)教育・心理学部の研究チームが行った研究です。この研究は、「仲間外れにされた」という同じ結果でも、その決まり方によって、感じ方や脳の反応が変わるのではないか、という問いを扱っています。
よく使われてきた実験と、その前提
社会的排除の研究でよく使われる方法に、サイバーボールと呼ばれる課題があります。画面上で行うボール投げのゲームで、最初は自分にもボールが回ってきますが、途中から他の参加者同士だけで投げ合い、自分には回ってこなくなります。
この状況では、多くの人が「仲間に入れてもらえない」「自分は必要とされていない」と感じます。質問紙の回答では、所属感や自尊感情が低下し、不快感が高まることが繰り返し示されてきました。脳活動を調べる研究では、身体的な痛みと関係する領域が活動することも報告されています。
しかし、この方法には一つの前提があります。それは、「他の参加者が自分を意図的に外した」と参加者が自然に感じる、という前提です。現実の社会では、必ずしも同じ立場の人同士が決めているとは限りません。
現実に近い状況をつくるという発想
研究チームが注目したのは、ヒエラルキー、つまり立場の差がはっきりしている状況です。学校や職場では、上の立場の人が役割や順番を決めることがあります。その結果として自分の出番が少なくなっても、それは「仲間外れ」と同じように感じられるのでしょうか。
この研究では、サイバーボールの課題を工夫し、「参加者同士が自由に投げ合う条件」と、「上位の立場にある存在が配分を決めていると説明される条件」を用意しました。表面的にはどちらも、自分にボールがあまり回ってこない状況です。しかし、その背景にある説明が異なります。
研究チームは、こうした違いが、主観的な感情の評価や脳の反応にどう影響するのかを調べました。
参加者が感じた気持ちの違い
実験のあと、参加者は自分の気持ちについて質問紙に答えました。結果を見ると、同じように参加が少ない状況でも、その受け止め方には違いがありました。
同じ立場の相手に外されたと感じる条件では、所属感が強く脅かされ、「仲間に受け入れられていない」という感覚が強まりました。一方で、ヒエラルキーの上位者が配分を決めたと説明されている条件では、不快感はあるものの、「仲間から拒否された」という感覚は弱まる傾向がありました。
つまり、人は結果そのものだけでなく、「なぜそうなったのか」という説明を強く意識していることが示されました。
脳の反応にも現れた違い
この研究では、脳波を用いて、排除を経験している最中の脳の反応も測定されました。特定のタイミングで現れる脳波の成分は、注意や感情の評価と関係していると考えられています。
分析の結果、同じ立場の相手から外されたと感じる条件では、社会的な意味づけや感情処理に関わる反応が強く現れました。一方、ヒエラルキーによる配分だと理解している条件では、そうした反応が弱まる傾向が見られました。
これは、脳が「これは対人関係の拒否なのか、それともルールによる結果なのか」を区別して処理している可能性を示しています。
「外された」という経験の中身は一つではない
この研究が示しているのは、「仲間外れ」という言葉でまとめられがちな経験の中に、実は異なるタイプがあるということです。誰が、どのような立場で、どんな理由で決めたのか。その文脈によって、心と脳の反応は変わります。
日常生活でも、「あの人たちに嫌われた」と感じる場面と、「役割上、今回は自分の出番が少なかった」と理解できる場面では、受け止め方が違うことがあります。この研究は、その違いを実験的に丁寧に切り分けて示しました。
社会の中で感じる痛みを、どう理解するか
研究チームは、社会的排除を単純に「ある・ない」で捉えるのではなく、その構造や意味づけを考えることの重要性を示しています。排除のつらさは、必ずしも結果の量だけで決まるわけではありません。
誰が決めたのか、意図的だったのか、避けられないルールだったのか。そうした背景をどう理解するかが、私たちの感じ方を大きく左右します。この視点は、学校や職場での人間関係を考えるうえでも、静かな示唆を与えてくれます。
私たちは日々、さまざまな決定の中で生きています。その一つ一つが、どのように説明され、どのように受け止められているのか。その違いに目を向けることが、見過ごされがちな心の負担を理解する手がかりになるのかもしれません。
この研究は、その問いをはっきりとした答えにまとめるのではなく、「なぜ同じ出来事でも、感じ方が違うのか」という余白を残したまま、私たちに考える材料を渡しています。
(出典:PLOS One DOI: 10.1371/journal.pone.0338212)
