迷った末に助けるとき、何が決め手になるのか?

この記事の読みどころ
  • 助けるかどうかは「利益」と「コスト」を直感的に考えることで決まることが多いと分かった。
  • 同じ場面でも人によって判断が違い、性格や感じ方が影響する。
  • 助ける行動は善悪だけでなく、状況と自分の感じ方の組み合わせで決まる、という研究の結論に近い。

人はなぜ、見知らぬ人を助けるのか

駅で困っている人を見かけたとき。
スーパーで手が届かず立ち尽くしている人を見たとき。
私たちは、とっさに「助けようかな」と思うことがあります。

けれど、その判断はいつも同じではありません。
助けることが当然に感じられる場面もあれば、なぜか足が止まってしまう場面もあります。

この違いは、性格や優しさの問題だけなのでしょうか。
それとも、もっと別の理由があるのでしょうか。

この研究は、そうした日常の「助ける/助けない」という判断を、できるだけ現実に近いかたちで捉え直そうとしています。


実験室ではなく、日常の場面から考える

これまで、人の「助ける行動」は主に実験室で研究されてきました。
たとえば、お金をどれだけ分けるか、どれだけ努力を払うかといった、数値で管理された課題です。

こうした研究は、判断の仕組みを正確に調べるうえで有効です。
しかし、現実の助け合いはもっと複雑です。

日常の場面では、
・相手の状況
・自分の気持ち
・周囲の雰囲気
・あとでどう思われるか
といった、はっきり数値化できない要素が重なります。

研究チームは、この複雑さをそのまま扱うために、「日常の助け合い場面」を文章として提示する方法を取りました。


100の「助けるかもしれない場面」

研究では、100種類の短い物語が用意されました。
どれも、私たちが日常で実際に出会いそうな状況です。

たとえば、
・高い棚に手が届かず困っている人
・重い荷物を運べずにいる人
・公共の場でトラブルに巻き込まれている人

いずれも、相手から直接「助けて」と頼まれるわけではありません。
助けるかどうかは、あくまで自分の判断に委ねられています。

参加者は、それぞれの場面について
「自分ならどれくらい助けたいと思うか」を評価しました。


助ける気持ちは、何から生まれるのか

さらに研究チームは、別の参加者に対して、
それぞれの場面がどんな気持ちを引き起こすかを詳しく評価してもらいました。

たとえば、
・相手のためになると感じるか
・自分にとって負担が大きいか
・助けないと後悔しそうか
・周囲からどう見られるかが気になるか

こうした多くの評価を整理すると、驚くほどシンプルな構造が見えてきました。


二つの軸に集約される判断

分析の結果、助けるかどうかの判断は、主に二つの要素で説明できることがわかりました。

一つ目は、**助けることによる「利益」**です。
ここでいう利益は、お金のようなものだけではありません。
相手の役に立つこと、自分の気持ちが楽になること、良い人でいられる感覚などが含まれます。

二つ目は、**助けることによる「コスト」**です。
時間や労力、危険、不安、面倒さといった、自分が背負う負担です。

研究では、この二つを
「利益がどれくらい大きいか」
「コストがどれくらい大きいか」
という軸で捉えました。


人は本当に損得で動いているのか

ここで重要なのは、
人が冷静に計算して「損か得か」を考えているわけではない、という点です。

多くの場合、この判断は直感的に行われます。
「これは助けたほうがいい気がする」
「ちょっと重すぎるな」
そうした感覚の正体を、研究では数値として整理しています。

その結果、助けるかどうかは
「利益 − コスト」
のような形でかなり正確に予測できることが示されました。


それでも、人には個人差がある

ただし、同じ場面でも、判断は人によって異なります。

研究では、すべての場面に共通する「助けやすさ」を表す要素も見つかりました。
それが、助けることへの基本的な傾向です。

この傾向が強い人は、
コストや利益に関わらず、比較的助けやすい傾向があります。

一方、この傾向が弱い人は、
場面ごとの条件により強く影響されます。


性格と「助け方」の関係

研究では、参加者の性格特性も測定されました。

その結果、
・共感しやすい人
・協調性が高い人
は、全体的に助ける傾向が強いことがわかりました。

一方で、
・罰や悪い結果に敏感な人
は、コストをより重く感じやすい傾向がありました。

つまり、
「助けない人」なのではなく、
「リスクを強く感じやすい人」だという見方もできるのです。


同じ“助け”でも、意味は違う

研究チームは、100の場面を意味の近さで分類もしました。

その結果、
・安全に関わる場面
・弱い立場の人を支える場面
・重い物を運ぶ場面
・地域や社会に関わる場面
など、いくつかのグループに分かれました。

興味深いのは、
同じ「助ける行為」でも、場面の種類によって
感じられるコストと利益のバランスが大きく異なる点です。


助ける・助けないは、善悪ではない

この研究が示しているのは、
「助けない人は冷たい」という単純な話ではありません。

人は、
・どれくらい役に立てそうか
・どれくらい自分が消耗するか
を、その人なりの感覚で統合しながら判断しています。

助ける行動は、性格だけでなく、状況と感受性の組み合わせによって生まれます。


わからなくても、理由はある

誰かを助けたとき。
助けなかったとき。

そのどちらにも、
本人なりの理由があります。

この研究は、
その理由が偶然や気まぐれではなく、
一定の構造を持っていることを静かに示しています。

私たちはいつも、完全に合理的でも、完全に利他的でもありません。
けれど、その間で揺れながら判断している。

「なぜあのとき助けられなかったのか」
「なぜあのとき自然に体が動いたのか」

わからなくても、
そこには理由があるのかもしれません。

その理由を知ることは、
他人を理解することでもあり、
自分を少し許すことでもあるのかもしれません。

(出典:communications psychology DOI: 10.1038/s44271-025-00371-x


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