触り心地は、感情のスピードを変えている?

この記事の読みどころ
  • やわらかい触感を感じているとき、視覚の感情判断の速さが少し遅くなるが、意味の判断には影響しない。
  • 視覚と触覚の影響は課題の性質によって変わり、すべての判断に同じように起こるわけではない。
  • 触覚と注意は資源を分け合うため、感情処理だけ遅くなるという説明がされている。

やわらかさは、なぜ「考える速さ」を変えるのか

何かを見ながら、同時に手で触れている。
その状況は、私たちの日常ではごく当たり前です。スマートフォンを操作しながら画面を見る、本をめくりながら文字を追う、商品を手に取りながらパッケージを眺める。私たちは、視覚と触覚を別々に使っているつもりでも、実際には同時に働かせています。

この研究が問いかけているのは、そうした日常的な状況の中で、「触っている感触」が「見ている情報の処理のしかた」に影響しているのではないか、という点です。とくに注目されているのは、感情に関わる判断の速さです。

この研究は、シンガポールの南洋理工大学 社会科学部を中心に、
日本の筑波大学 人文社会科学系
日本の神戸大学 大学院国際文化学研究科
などの研究者が参加する国際的な研究チームによって行われました。


見ることと触ることは、本当に別々なのか

これまでの心理学や認知科学の研究では、視覚と触覚が互いに影響し合うことはよく知られてきました。形の認識や位置の把握、身体感覚などでは、複数の感覚が統合されて働くことが示されています。

一方で、「感情」に関わる処理、つまり「これは良い感じか、嫌な感じか」といった評価において、視覚と触覚がどのように関係しているのかは、十分には分かっていませんでした。

そこで研究チームは、触覚の性質、とくに素材のやわらかさが、視覚的な情報の感情的な処理に影響を与えるのかどうかを調べました。


実験1:やわらかいものに触れながら、言葉の印象を判断する

最初の実験では、参加者は画面に表示される英単語を見て、その言葉がどれくらいポジティブかを評価しました。
同時に、参加者の指先には、やわらかい素材、もしくはかたい素材が触れています。

ここで重要なのは、参加者が触覚について評価するよう求められていない点です。あくまで注意は「言葉の印象」に向けられていました。

結果は、次のようなものでした。

言葉がポジティブかどうかという評価そのものは、触っている素材によって変わりませんでした。
しかし、その評価にかかる時間は変化していました。

やわらかい素材に触れているとき、参加者は言葉のポジティブさを判断するまでに、わずかに時間がかかっていたのです。


これは「感情」特有の現象なのか

ここで一つの疑問が浮かびます。
この遅れは、判断全般が遅くなっただけなのでしょうか。それとも、「感情に関わる判断」に特有の影響なのでしょうか。

この点を確かめるため、研究チームは第二の実験を行いました。


実験2:意味を考えるときも、遅くなるのか

二つ目の実験では、同じ単語を使いながら、「その言葉がどれくらい抽象的か」を評価してもらいました。これは感情ではなく、意味や概念に関わる判断です。

条件はほぼ同じで、参加者はやはり、やわらかい素材またはかたい素材に触れながら判断を行います。

その結果、ここでは違いが見られませんでした。

言葉の抽象性を判断する速さは、触っている素材によって変わらなかったのです。
やわらかさは、意味的・認知的な判断の速さには影響していませんでした。


見えてきたのは「感情にだけ効く」影響

二つの実験を通して明らかになったのは、次の点です。

やわらかいものに触れているとき、人は
感情に関わる視覚的判断だけを、ゆっくり行うようになる

一方で、意味を考えるような判断には、その影響は及びません。

これは、視覚と触覚の関係が「常に一緒に作用する」のではなく、行っている課題の性質によって選び分けられていることを示しています。


なぜ、やわらかいと遅くなるのか

論文では、その理由として「注意」の働きが示唆されています。

やわらかい触覚刺激は、心地よさや快さと結びつきやすいことが知られています。快い刺激は注意を引きつけやすく、その分、別の作業に向けられる注意が分散される可能性があります。

その結果、視覚的な感情判断に使える注意の余裕が減り、判断にわずかな遅れが生じる、という解釈です。

これは、集中力が単に下がったという話ではありません。
感覚どうしが、注意という限られた資源を分け合っていることを示す現象といえます。


日常の感覚体験を、どう捉え直すか

この研究は、私たちが普段ほとんど意識しない「触り心地」が、思考や感情の処理のテンポに影響を与えている可能性を示しています。

何かを見て「どう感じるか」を判断しているとき、その速さは目だけで決まっているわけではありません。
その瞬間、手が何に触れているかも、静かに関わっています。

視覚、触覚、感情、注意。
それらは切り離されたものではなく、日常の中で重なり合いながら、私たちの体験を形づくっています。

この研究は、その重なりの一端を、実験というかたちで丁寧に示しています。

(出典:Frontiers in Psychology DOI: 10.3389/fpsyg.2025.1644393


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