- AIをよく知っている人ほど、失敗の責任をAI自体に感じやすく、知らない人は自分に責任を感じやすい。
- 判断が重要になる場面ほど、責任は作った側へ大きくなる。
- 責任は状況や説明の仕方で動くもので、固定されていない。
AIに任せた判断が失敗したとき、人は誰に責任を感じるのか
AIが人の判断を支える場面は、すでに特別なものではありません。
仕事に関する通知、旅行の計画、緊急時の対応まで、私たちは日常の中で、AIの助言を前提に行動する機会が増えています。
では、その判断がうまくいかなかったとき、人は誰に責任を感じるのでしょうか。
自分なのか、AIなのか、それともAIを作った側なのか。
この問いに対する人の感じ方は、実は一定ではありません。
この研究は、責任の向きがどのように変わるのかを、「AIについてどれだけ知っているか」と「判断の重要性」という二つの視点から丁寧に調べています。
この研究は、東洋大学 情報連携学部と神奈川大学 情報学部 応用システム数学科によって行われました。
AIを知っているかどうかで、失敗の見え方は変わる
研究では、人とAIがやりとりする様子を動画で提示し、その結果が失敗に終わったあとで、
「誰にどれくらい責任があると感じるか」を参加者に評価してもらいました。
ここで重要なのは、参加者の一部には、事前にAIの自己紹介映像が示されていたことです。
その映像では、AIがどのような役割を持ち、どんな支援ができる存在なのかが説明されていました。
一方で、別の参加者は、そのような説明を受けないまま、初めてAIと人のやりとりを見ることになります。
この違いは、責任の感じ方に明確な影響を与えていました。
AIについて事前に知っていた人ほど、
「これは利用者の責任だ」と感じにくくなり、
「AIそのものに責任がある」と感じやすくなっていたのです。
逆に、AIのことをよく知らない状態では、
「使った自分に責任があるのではないか」という評価が強くなりました。
同じ失敗を見ていても、
AIを「よく知らない存在」として見るか、「役割や能力を理解している存在」として見るかで、
責任の向きが変わっていたことになります。
判断が重くなるほど、責任は作った側に向かう
もう一つの重要な要因は、その判断がどれだけ重要だったか、という点です。
研究では、
日常的で影響の小さい場面、
ある程度の影響を持つ場面、
深刻な結果につながる可能性のある場面、
という三段階の状況が設定されました。
すると、判断の重要性が高まるにつれて、責任の配分が次のように変化していきました。
まず、利用者本人の責任は小さく評価されるようになります。
次に、AIそのものの責任はやや大きくなります。
そして最も大きく増えたのが、AIを開発・提供した側の責任でした。
特に重要性が高い状況では、
「このような場面で使われるAIなら、もっと慎重に設計・管理されているべきだった」
という感覚が強く表れていました。
これは、責任逃れというよりも、
重要な判断ほど、専門性や管理責任を期待する心理が働いた結果だと考えられます。
責任は固定されたものではなく、状況の中で動く
この研究が示しているのは、
責任があらかじめ決められた一点に存在するものではない、という事実です。
AIについてどれだけ知っているか。
その判断がどれほど重要だったか。
こうした条件によって、人の責任感は柔軟に変化します。
軽い場面では「自分が判断すべきだった」と感じ、
重い場面では「作った側がもっと考えるべきだった」と感じる。
そして、AIをよく理解しているほど、
それを単なる道具ではなく、判断に関わる存在として捉え、
AIやその背後にいる人間へと責任を向けるようになります。
責任は静的なルールではなく、
認識と文脈の中で再配分される感覚として存在していることが、ここから見えてきます。
AIをどう説明するかが、責任の感じ方を左右する
研究では、AIの事前説明が、信頼だけでなく責任の向きにも影響することが示されました。
AIの能力や役割を丁寧に説明することは、利用を促すうえで重要です。
しかしその一方で、そうした説明は、失敗時にAIや開発者がより強く責任を問われる状況も生み出します。
逆に、説明がほとんどないまま使われると、
利用者が過度に自分を責めてしまう可能性もあります。
どちらが正しいという話ではありません。
重要なのは、説明の仕方そのものが、責任の感じ方を形作っているという点です。
人とAIが一緒に判断する時代に残る問い
AIが人の判断に関わる以上、
失敗の責任を誰か一人に押し付けることは、ますます難しくなります。
この研究は、
AIをどれだけ知っているか、
判断がどれほど重要だったか、
その二つが、責任の向きを大きく左右することを実験的に示しました。
AIは万能でも無責任でもありません。
そして人も、すべてを背負う存在ではありません。
責任がどこに向かうのかを考えることは、
AIを信頼するかどうか以前に、
人と技術がどう共存していくのかを考えることでもあります。
わからなくても、理由はあります。
責任の所在が揺れるのにも、きちんとした理由があるのです。
(出典:scientific reports DOI: 10.1038/s41598-025-32513-w)
